判官贔屓

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進撃が最終話だからハンジさんについて長々と書く:順番とは

進撃 最終話 ネタバレ

どうして研究者としてどちらかと言えば自由人・変人枠だったハンジが、最後には、最も人として譲られぬ線を譲らず、団長として以前に大人としての責任を果たすという役割で退場していったのか とか 考えちゃったんだけど

彼女ほど進撃の物語の中で大きく役割を変えたキャラはいないのではないかと思う程に、初回登場のハンジは最早懐かしい、遠い日の誰かだ。あどけないこどもからスタートして、英雄に終わったアルミンの方が、役割としては一貫性があった。調査兵団の面々と比べても、おそらくハンジは群を抜いて変化があった。


その役割の変化の殆どは、勿論、彼女の人格・人柄の変化ではなかった。その面では変化というよりむしろ、明らかになっていった、という方が正しい。


最初に彼女の巨人狂いの皮の奥が見れたのは、勿論、おそらく多くの読者にも最も印象に残っている、「怖いなぁ」という壁の上の彼女の一言だろうと思う。

普段の空気が一転して、人を殺しかけた直後、ぽつりとただ出た言葉。そう、彼女だって、ずっとずっと恐怖を感じていたのだ、と。

こんな世界で、何かに酔っ払っていなければやっていられない、生きるという事なんて……私が進撃で最も好きなコンセプトの一つだけど……ハンジが酔っ払っていたのは、調査兵団という英雄だけではなく、巨人の謎を解き明かすという酒だった。酔っ払ってはいられなくなった時、ただ不安と恐怖があった。そして彼女は……不安と恐怖に向き合う方を選んだのだ。それが調査兵団だから。「理解する事を、あきらめない」。


最期彼女が死ぬまで彼女の口からたびたび出てくることとなった、サネス拷問からの「こういう役にはたぶん順番がある」というやりとりは、彼女の常識や世界観を強烈に揺さぶった。いつ自分の順番が来るのかという呪いを受けてしまった。その呪いは、ハンジには、妥当に思えた。真実だろう、と。



エルヴィンの生死をめぐっては、リヴァイと意見を異にして、同胞の突然の情じみた選択に、納得がいかないまま団長という重圧を背負わなくてはならなくなった。

エルヴィンの死は、おそらく全ての歯車をこれでもかと狂わせたし、才能としての後釜のアルミンと同様、役割としての後釜のハンジも、延々とエルヴィンなら、エルヴィンならと口走ることになった。読んでいる立場としては、アルミンにしろハンジにしろ、そういう台詞を言うたびに、やるせない気持ちになる。本当にエルヴィンならできるのかすらわからないのに、エルヴィンと自分を比べる。

白夜の、マジで厳密に言っても誰が悪いわけでも無いにもかかわらず、フロックを含めて全員の行き先を変えたというあの構成、あの物語は、本当に脱帽する。

 


「こういう役にはたぶん順番がある」を、ハンジはどう捉えたかといえば、「自分は、中間である」、だと思う。

勿論、順番があるという事は、99%誰もが中間なのだが、ハンジは殊更、エルヴィンから団長の役割を得たその瞬間から、おそらくいつアルミンへとその役割を渡すのか、渡すべきか、ということを考えていたと思われる。


憧れのキース・シャーディスの真相は、ハンジの中で諦めと共に、もう誰かに憧れる世代ではない、という認識を強めただろう。

ハンジは変わる事を迫られていた。


その結果、ハンジの中では、「世代交代」「世代」が回を追う毎に明確になっていった。だれの責任で、だれは責任を負うべきでは無いのか。だから「大人」として振る舞ったし、104期、またガビたちの世代を明確に「こども」として別なものとして扱った。

自分には背負う業があり、そうではない人がいると。

この考えは、よくみると、エルディア〜云々の2000年たらたらの恨みと、真っ向から反対している。


ハンジの思う「中間」としての「順番」は、我々が望んだより遥かに早かったが、ハンジからしたら、最後努めた殿は、しごく当然のことだったのだ。

自分の同期や後輩が殆ど残っていない中で、いつ自分の終わりを迎えるべきか。

ライナーやエレンの流れを汲む、贖罪としての終わりとも違う。ただ、単に、「順番」としての役割。


ハンジはこういう風に、折々で作品の主題と異なるところで、重要な物語を持っていると思う。


エルヴィンが消えて、エルヴィンの代わりをやらなくてはならなくなった。巨人好きなハンジであることができなくなった。でもみんなをまとめるために、エルヴィンの夢はもう使えない。エルヴィンの時代とは課題も全く違う。

ハンジはどういうリーダーをめざしたのだろう。

そんな中で顕著に出てきたのが、「虐殺を肯定する理由があってたまるか」と、最後の最後の線引きを絶対にする、そういうハンジだったのが本当に嬉しい。


何故なのか?


ハンジは、混沌とする中で、『巨人を殺す』『壁の外を知る』『英雄たれ』、そういった今までの指針とは別の強固なものを探したかった。

これで、対マーレとか、対他の国とか、そうなれたら単純だった。

でもハンジは学者だった。ハンジは、この世で知識だけがニュートラルで、他のいかなるスローガンも、いつ正しくなるか間違いになるかわからないのだと知ってしまっていた。

ハンジは、わかりやすい指針に飛びつきたくはなかった。そんな虚構で人を引っ張って、間違った事をして……自分自身を一体いつ転覆されるべき順番に追いやっているかわからない。


ハンジはおそらくリーダーには向いていなかった。人が奮い立つ虚構で人を引っ張らないから

エレンやエルヴィン やフロックのような演説がハンジにできるわけがない。

だが虚構ではなく、何かユニバーサルに、ずっと、順番が来ない、ひっくり返されない、そういう正しいと思えることがあるはずだとずっと祈っていたはずだ。だからハンジは、時に倫理を説こうとした。別に説教としてじゃない。その線引きを気にしなければ、すぐひっくり返されるとわかっていたから。すぐに順番が来てしまうから。

だから、ハンジは虐殺を否定する。

ハンジは混沌たる中でのリーダーにはもしかしたら向いてなかったけど、ハンジが団長でなければ、あの結末にはならなかった。


ハンジはエレンとは違った。アルミンとも違った。二人をこっちだ、その方向じゃだめなんだ、と引っ張らなくてはならなかった。その多くがうまくいかなかったけど、それでも二人に違うとそう言いはなつ彼女がいたことがどれだけ物語にとって重要か。



「虐殺を肯定する理由があってたまるか」というのは、意思を持った否定だ。

科学者に分類される彼女が、「○○は存在しない」ということはない。「○○が存在する事を認めない」「認めたくない」なのだ。

ジャンもハンジも論理主義だから、あのやりとりはどこまでも続く。そして、おそらく、見方によっては遥かにジャンの言い分に分がある。答えはない。だからこそ、どこかで「どちらかの論理は"とらない"」という決断になる。そして目に見えないところで、大勢の人が、よくわからない規模で死んで行くことは、ハンジには絶対に超えたくない一線だった。


こういうのには順番がある。つまり、何が正しいのかなんて誰にも分からない。

その中で、その論理はとらない、と決めることがどれだけ重いか。

よく勘違いされるけれど、道徳が味方しているからとりやすい選択なんて、ない。損得が味方している選択の方が、いつだってはるかにとりやすいに決まっている。


何が正しいのかわからない……その中でも、最低限の正しさがあることをハンジは祈っただろう。だからハンジは、巨人の研究者から、苦しむ団長になったのだ。


最期、アルミン に団長を託した時、ハンジが言ったこと。

「理解することを諦めないのが団長に求められる資質である」

また、壁の外があると決まった時、調査兵団は、巨人を殺すことを目的としているのではなく、あくまで調査をする事、知る事を目的としているのだと、説いた。


ハンジは、だから自分が団長になったと、何度も自分に言い聞かせたと思う。理解する事を諦めないから、エルヴィン は自分を後釜に選んだのだ、そうでなければ、なんなのだ、と。

だからアルミンへの遺言は、彼女への言葉でもあった。



進撃は、色々と哲学的なことも語ったし、政治的なことも語ったし、歴史的なことも語っただろう。

けど、やっぱり、英雄として最初に登場した調査兵団のスピリットも、ハンジ・ゾエのスピリットも、そこには当てはまらない。

理解する事を諦めない、物理的なことも、形而学的なことも、何が正しいのかすらも。そういうスピリットを汲んでいる。

リヴァイと二人で暮らそうか、とひとりごちあと、戻ってきたのは、「諦めなかった」からだ。知る事を。なすべきことがわからなくても、それを知ろうとすることを諦めなかった。


だから、そういう意味で言えば、ハンジの劇的に変わった役割にも、やはりひとつの芯は通っていた。

わけがわからないものを、理解しようとする事を、誰よりも諦めない人。

えてして、最後の最後で倫理を守ろうとするのは、そういう姿勢なのだろうな、と思った金曜日でした。



私はアルレル党の人間でEMA箱推しなんだけど、最終回終わってもーーーハンジさんのことしか考えられなかった。なんでかな?!


進撃が終わって、寂しいです…